こんにちは、モンブランです。
先日、日曜にデレマスライブのライブビューイングに行ってきました。元々行く予定はなかったのですが、土曜に同じくライブビューイングに行ってきた後輩にプッシュしてもらい、座席の空きもあったことから急遽参戦。また一つ良い思い出ができました。
ライブビューイングもとても楽しかったけれど、どうしても現地参戦と比較するとライブ感が一段落ちてしまいます。生バンドの演奏があったため、尚更そう思いました。
次のライブはまたナゴヤドームの時のようにまた現地で味わいたい。決意を新たにしたモンブランPなのでした。
さて、今回の本題は雑談です。話のバリューから言ったらライブの話の方をもっとちゃんとした方が良い感じも否めませんが、今回はお休みさせてください。ライブの余熱で書くキュートでクールでパッションな感想集(あえて感想文と言わない)も疲れるのでね。今回はゆるーく。
それと、本題の前に早めに謝罪を。
タイトルの「幼馴染」ですが、人間のことではありません。人間の幼馴染も居なくはないのですが、個人間の会話ならともかく記録に残すのはちょっと憚られるので、人ではなくもののお話です。ごめんなさい。
仕事中未だに筆箱を使う機会があるのですが、ふと気づいたんです。
「この筆箱、いつから使っているんだっけ?」と。
小学校低学年の頃に親に買ってもらって以来だから、もうじき20周年を迎えようとしています。自分のことながらまあまあビビりました。我ながら物持ちが良過ぎる。
振り返ってみれば、一度布が破れてしまったことがありましたが(布製の筆箱です)、捨てるのが勿体無くて自分で縫って直しました。新しいものを買おうかと言われても首を縦に振らず、そのまま使い続けました。そして今に至ります。
本当、なんででしょうね?
最初に使っていたプラスチックの箱型の筆箱が嫌で、新しく買ってもらえたことが嬉しかったのは覚えています。嬉しかったのは本当。
でも、ここまでずっと使い続けるほどの思い入れがあったかといえば、そうでもないような気もします。
単に捨てるのが惜しかっただけなのかもしれません。
ここで勘違いして欲しくないのは、ぼくは決して物を捨てられない人間ではないということです。むしろ、飽きたら容赦なく捨ててしまうタチです。一昔前に流行った「ときめくか、ときめかないか」の判断基準で、ときめかなくなった瞬間にサヨナラバイバイ。ドライと言わば言え。
物の所有の傾向がその人の心理を体現しているという考え方もありますよね。それに照らし合わせると、僕はどういう人間なんでしょう? 両極端なのか、どっちつかずなのか?
言ってみただけで深く考える気もないので、どなたかお手隙の際に代わりに考えてみてください。僕個人としては、相手にせずさっさと忘却してしまうのが吉だと推奨しますけれど。
時を戻そう(ぺこぱ風)。
長持ちしている筆箱の中には、実はもっと付き合いの長いハサミが入っています。
筆箱は小学校低学年から。
ハサミは幼稚園の頃から(⁉︎)
いささか形状が子供向きであることは否めませんが、問題なく使えるものをわざわざ替える理由もなくて、ビックリするほど長く使い続けています。
そんな彼らなので、もしもこの先本当に使えなくなってしまうことがあれば、その時は丁重に弔ってあげようと思います。文房具のお墓は流石に寡聞にして知らないのですが。
それまでは大事に大事に使い続けてあげようと思います。おしまい。
ではでは、今回はこの辺で!