こんにちは、モンブランです。
先日Twitterのトレンドの上位の中に「清少納言」の名前がありましたね。
その理由はFate/GOというソシャゲに期間限定キャラとして清少納言が登場したからに間違いありません。過去の偉人や英雄を従えて冒険するRPGなので、さもありなんと言った感じです。
さてさて、今回はソシャゲの話をしたい訳ではなくて、あくまで僕の敬愛する清少納言を扱いたいのです。
清少納言といえば『枕草子』という随筆集で有名ですが、その書かれ方を指して昨今ではインスタグラマーやキラキラ女子のような扱いを受けることもしばしばあります。
作中で多用される「をかし」は趣深い、それも瞬間的なものを指すことが多く、現代のSNSでいう「いいね」に近いかもしれません。
『枕草子』の概要を紐解くと、ざっくり以下のようになります。
・自身が使える定子やその周囲の人々の器量や振る舞いを褒め称えること。
・アプローチをかけてくる貴人に対して、歌で機転をきかせてやり込めたこと。
・自分が好ましく思うもの(イケメンのお坊さんの説教など)、逆に好ましくないもの(風流を解さない最初の夫の話など)。
ひと回り歳下の主人である中宮定子を相当お慕いしていたのでしょう、ほとんどが定子様愛に満ち満ちています(誇張じゃない)。
清少納言の言葉遊びの巧みさや日常のちょっとした瞬間に対する着眼点は見事です。
僕も中学生ごろから清少納言を先生と慕っていました。
ところで、紫式部と清少納言は険悪であるような風潮がありますが、実際のところ彼女たちに直接の面識はありません。それぞれの宮仕えの時期が異なるからです。故に清少納言から紫式部に対する言及は見つかっていません。
しかし一方で、紫式部は『紫式部日記』にて清少納言を批判するような記述があります。用いている漢字が間違っているとか、プライドの高い見栄っ張りだとか、その辺りから不仲説が出ているのでしょうね。
実際にそういう面(『枕草子』から窺える清少納言)もなくはないですが、立場の問題から紫式部に日記を書かせた事情もあるかもしれません。
紫式部が宮仕えを始めたのは、清少納言が仕える前中宮定子が内裏を去り、彼女が仕える彰子が中宮になる時から。
『枕草子』が読まれるようになり、定子の時代を懐かしむ雰囲気が湧き起こったため、彰子に仕える紫式部としては面白くなかったのでしょう。“をかし”と“あはれ”、それぞれ好むところも違ったでしょうし、いずれにしても相性は良くなかったかもしれません。
ついでに『紫式部日記』効果もあったのか、『枕草子』を批判的に見る学者も現れ始めました。
「大変な時期だったのに呑気なこと書いてる場合じゃないだろ!」みたいな。
その通り、清少納言が『枕草子』で記述している時期は、定子にとって苦難の時期でもあったのです。
父の藤原道隆が亡くなり、兄の伊周が太宰府に流刑に処され、権力を得たい叔父の道長から数々の嫌がらせを受け……。
それを思えば、男との別れ際に関して云々言ったり、姑に褒められる嫁は主人のことを悪く言わない使用人並みに滅多にいないとか言ったりしている場合ではないでしょう。
ただ、あくまで『枕草子』は随筆であって、歴史書や宮廷の記録書ではありません。
決して長くはなかった定子との思い出を具に抜き出して、その“をかし”に浸りたかったのではないでしょうか。
それを想うと、機知に富んでいたりユーモアさえ感じさせたりもする『枕草子』も、刹那的で少し寂しくもあります。
教科書にも載っている古文、というように構えることなく、昔の感覚の鋭敏な人のTwitterみたいな楽しみ方をしてみてはいかがでしょうか。
尊敬する清少納言先生の薦めにしては物足りない気もしますが、思いの丈はあらかたお話しできたかと。
ではでは、今回はこの辺で!
……バレンタイン? 知らない子ですね。