モンブランは静かに暮らしたい。

静かに暮らしたいのに、好きなことの話をすると静かでなくなってしまうブログです。

晴れの日も雨の日も本を読みたい(12)

 こんにちは、モンブランです。

 この時期の暦の疾走感は末恐ろしいですね。世間がバレンタインがどうとか言っていた時は「もう2月も半ばか」と内心震えていたくらいですし、これを書いている今は下旬。3月がもうウォーミングアップを始めています。そう焦らないでください。

 

 さて、この「晴れの日も雨の日も本を読みたい」と題した読んだ本の感想シリーズなのですが、実は1年以上ぶりなんです。バックナンバーのタイトルを振り返ってみて自分でも驚きました。違う題で同じようなことをしていたので、あまり実感が湧かなかったのかもしれません。

 とは言え、久しぶりだろうが何だろうが、やることも書くことも変わりませんので、ゆる〜く平常運転でお送りします。

 

 

1.森見登美彦シャーロック・ホームズの凱旋』中央公論新社

 

 

「天から与えられた才能はどこへ消えた?」

舞台はヴィクトリア朝京都。
洛中洛外に名を轟かせた名探偵ホームズが……まさかの大スランプ!?

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この手記は脱出不可能の迷宮と化した舞台裏からの報告書である。
いつの間にか迷いこんだその舞台裏において、私たちはかつて経験したことのない「非探偵小説的な冒険」を強いられることになったわけだが、世の人々がその冒険について知ることはなかった。スランプに陥ってからというもの、シャーロック・ホームズは世間的には死んだも同然であり、それはこの私、ジョン・H・ワトソンにしても同様だったからである。
シャーロック・ホームズの沈黙は、ジョン・H・ワトソンの沈黙でもあった。
-----(本文より)

謎が謎を呼ぶ痛快無比な森見劇場、ついに開幕!

 

 森見さんがまた怪作を書きましたね。

 よくよく馴染みのある名前の人物たちがおかしなことになっています。

 “ヴィクトリア朝京都”とは何か?

 ベイカー街も今作では寺町通になっており、京都とロンドンが入り混じったような世界観で、ホームズがスランプに陥ったところから物語が始まります。

 推理ができなくなったホームズは、スランプへの対策を講じることを口実に、屁理屈を捏ねて不毛な日々を過ごすばかり。この点、森見さんが普段書いているキャラクターと重なる部分が多く、思わぬマリアージュでした。だから、怪作でありながら原典のホームズに忠実でもあるんですよね。

 また、オマージュが所々に散りばめられていて、シャーロキアンの僕も読んでいて「ニヤリ」となることが多かったです。「お前が手紙残して居なくなるんかい!」とか。

 今作は森見さんの過去作で例えると、序盤は『新釈 走れメロス』で、後半は『夜行』や『熱帯』みたいな感じです。

 シャーロック・ホームズに詳しくなくても、メインキャラクターの立ち位置を何となくわかっていれば、楽しめると思います。

 今回も賛否両論ありそうな作品でしたが、僕はシャーロキアンとしても森見ファンとしても楽しめました。

 

 

 

2.東野圭吾『ブラック・シャーマンと覚醒する女たち』光文社

 

 

亡き夫から莫大な遺産を相続した女性の前に絶縁したはずの兄が現れ、「あんたは偽者だ」といいだす。女性は一笑に付すが、一部始終を聞いていた元マジシャンのマスターは驚くべき謎解きを披露する。果たして嘘をついているのはどちらなのか――。謎に包まれたバー『トラップハンド』のマスターと、彼の華麗なる魔術によって変貌を遂げていく女性たちの物語。

 

 まさかシリーズ化するとは!

 と思うくらいには、前作はあまり面白くなかったんですよ。ただ、前作は長編だったのに対して、今作は連作短編集でした。このシリーズの探偵役は長編よりも短編向きなのかもしれません。今作はとても面白かったです。

 1話ごとに物語が完結しているので忙しい仕事の合間でも読みやすくて、良い形で意外な結末だったので、読後感も良かったです。

 今作のようなスタイルだったら、次回作も読んでみたいです。

 

 

3.安野モヨコ『還暦不行届』祥伝社

 

 

今回は前作と違って文章です!
大反響、早くも大増刷!!!
お待たせしました!『監督不行届』のその後!
還暦を迎えた鬼才監督 夫・庵野秀明
日本一のオタ夫婦の
おかしくも愛おしいディープな日常を今回は文章版エッセイでお届け!!!!

 

『監督不行届』の続編が出ていたことを知ったのはつい最近。積読が溜まっているにも関わらず、即購入即読了しました。

 あらすじにもある通り、漫画ではなく文章でのエッセイでしたが、逆にそれが良い。漫画にできるほどのキャッチーな可笑しさよりも、さりげない面白さがありました。

 あるいは、飾らない心情の吐露は文章の方が形にしやすいのかもしれません。安野モヨコさんは文章でのアウトプットもお上手なので、漫画家という本業を全く意識せずに楽しめました。

 また、文章版エッセイと言いつつ、一コマ漫画や過去に寄稿された漫画も収録されていたので、とても充実した内容でした。

 今年読んだ本の中で一番面白かったです。

 残りの月日で今年一を更新できますように。

 

 

 

 さてさて、いかがだったでしょうか。

 このスタイルで書くのが久しぶり過ぎて、書き方をすっかり忘れていました。おブログに限ってはあまりバックナンバーを読み返したくないので、大体こんなもんかなーと勘で書いてみたものの、マジでいかがだったでしょうか??

 以前の出来が良いとも限らないし、今回がどうかは言わずもがな。

 ……正直なところ、最近“これ”を書いていなかったのは、他に書きたいことがあったのもありますが、それ以上に、あまり評論家ぶったことを書きたくないなーという心境からでした。

 確かに“そこそこは”読書家である自負はありますが、お金を積まれて文章を書くことを頼まれた訳でもなく、そこから生じる責任を持つでもなく、にも関わらず評論やらレビューやらみたいなことにどれほどの価値があるのだろうか、と。

 金銭の生じない放言に価値がないのかと言われればそんなことは全くないのですが、何となく自分の中でモヤモヤしていて、無意識寄りながらも意識的に遠ざけていた部分があります。

 ただ、それを言い出したら今までに書いてきた小説まで否定するような気がして、それは違うよなと思い直して、今回さり気なく再開してみました(冒頭で触れている時点でさり気なさに欠けるが)。

 結局のところ、考えるな感じろってことなんでしょうね。アレコレ考えるよりも、感じるままに愛のままにわがままに書いた方が精神衛生上よろしい。

 そんなこんなであんなどんなでした。

 あんなどんなって何だ。

 ではでは、今回はこの辺で!

 

 明日また会えるよね!(流石に無理)