モンブランは静かに暮らしたい。

静かに暮らしたいのに、好きなことの話をすると静かでなくなってしまうブログです。

デレマスの隠れた名曲4選

 こんにちは、モンブランです。

 先日あまりにお腹の調子が悪いので病院に行ったところ、感染性胃腸炎の診断を頂戴してしまいました。
 そこから数日間自室とトイレを往復する地獄の日々を送り続けてきました。これを書いている今も治りかけくらいで、まだ完治には至っていません。が、幾分マシになってきたので、せめて文章くらいは書こうとこうしてブログに参上した訳です。
 今回は闘病中の僕を励ましてくれたデレマス曲について書こうかなーと思います。

 


 アイドルマスターシンデレラガールズは抱えるアイドルたちの多様さもさることながら、その楽曲数も非常に膨大です。

 その中でもアイドルの持ち歌の1曲目、ゲームでのイベント曲、ライブでの定番曲などの有名な曲は敢えて外して、今回はそれらに対してややマイナーな名曲について紹介させてください。
 この記事を読んで初めて知ったという方は大歓迎ですし、言われるまでもなく知っているという方におかれましては鷹揚に頷いていただければ幸いです。
 それでは、まずこちらから。

 

 

 

 


1.「if」速水奏飯田友子

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 こちらは『THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS STARLIGHT MASTER 18 モーレツ★世直しギルティ!』に収録された、速水奏のソロ2曲目です。

 奏Pの方には申し訳ないのですが、僕は速水奏のことは好きではあるものの推しといえるほどではありません。この曲を聴く前もあまり深い関心がなかったのが正直なところです。

 しかし、ガチのEDMだった彼女のソロ1曲目「Hotel Moonside」とは打って変わった、しっとりとした少々古めかしいバラードなこの曲に聴き惚れてしまいました。

 初見でしんみりと感動したところで、2回目に歌詞に注目してみると結構難解です。「恋愛映画は苦手」というわかりやすく奏な部分もあれば、解釈が分かれそうなフレーズもあって、やっぱりめんどくせーなこの女(褒め言葉)と思わざるを得ない。

 自分なりに何とか解釈してみると、「if」という曲名通り、もしもの自分(アイドルにならなかった自分)について歌っているのだと思います。

 サビにある「もしキスしてくれてたら〜」はデレステのアイドルコミュにもあるプロデューサーとの出会いの場面を彷彿とさせ、結果未遂で済んだものの、彼女に本気を見せられずプロデューサーがスカウトに失敗してしまった「if」が窺えます。

 そんなもしもの自分について俯瞰したような言葉選びになっているのは、“もしもの自分を想像したアイドルの自分”だからなのか、“もしもの自分がそのまま成長した一般人としての自分”が過去を振り返っている体だからなのかはちょっとわかりません。どちらでもないということもあり得る。

 あとは、誰に向けて歌っているのかについて。……問うまでもなく、ファンに向けてではないだろうと思います。本音を隠しがちな彼女が正直な心情を吐露できるのは、プロデューサーやごく一部の親しい人間くらいでしょう。この曲は、ファンにとっては精々本音らしい言葉を仄かしてドキッとさせるぐらいの効果しかないと思います。

 しかも、その本音らしい言葉も真偽を問い詰めたところで「これはあくまで“if”である」という方便が立ちます。めんどくさい上にズルい女(褒め言葉)ですね〜。

 ちなみに、詞の中に登場する「あなた」はちょっとわかりませんでした。単純にプロデューサーで良いのか、それとも更に穿った存在としての「あなた」なのか。

 担当でない故に、考えるには情報と熱量が不足してしまっています。

 ……実は、「if」の基本情報を調べるためにググった時に、奏Pによるこの曲のガチ考察を見つけてしまいまして。これを書く上でそちらに引っ張られてしまいそうなので、敢えて未読のままこれを書いたのですが、書き終えた後でそちらを読みに行こうと思います。
 兎にも角にも「if」をよろしくね。

 


2.「おねえちゃんデスコ」市原仁奈久野美咲

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「if」で少しくたびれたので、こちらはちょっと軽めで。ごめんなさい。

 この曲は『THE IDOLM@STER CINDELLA GIRLS STARLIGHT MASTER 30 ガールズ・イン・ザ・フロンティア』に収録された、市原仁奈のソロ2曲目でごぜーます。

 作詞・作曲がササキトモコさんと聞いた時点でハズレはないと思っていましたが、期待以上のものが出てきやがりました。

 まず9歳の女の子が80年代に流行ったディスコを歌うのが面白いですよね。普通だったら片桐早苗さんあたりの大人アイドルに白羽の矢が立ちそうなものなのに。仁奈の口調に引っ張られて「デスコ」になっているのもまた良き。

 そして、曲名にもある通り、この曲の中ではデレマス界最年少の仁奈が「おねえちゃん」ぶっているのがとても可愛らしい。それでいて、成長していく自分自身に戸惑っているようでもあるのがまた良い。
 詳しくはササキトモコさんのブログに制作背景が書かれているのでそちらを参照して欲しいのですが、

https://sasakitomoko.jp/2019/07/%E3%81%8A%E3%81%AD%E3%81%88%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%83%87%E3%82%B9%E3%82%B3/

 アイドル市原仁奈の持ち味を出しつつ、9歳の女の子をリアルに描いた素晴らしい楽曲です。こちらも強くオススメしたいです。

 


3.「桜の風」アナスタシア(上坂すみれ)、五十嵐響子(種崎敦美)、依田芳乃(高田憂希

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 これは隠れているのかと首を傾げながらもご紹介。『THE IDOLM@STER CINDELLA GIRLS MASTER SEASON SPRING!』に収録された春のメイン曲です。

 季節ごとに夏「銀のイルカと熱い風」→秋「秋風に手を振って」→冬「ツインテールの風」→春「桜の風」と続いているため、風シリーズとも呼ばれる楽曲群の内の1曲でもあります。

 この風シリーズの歌詞が全体を通してひとつの男女の恋物語になっているのです。発表順は上記の通りですが、物語の時系列順では冬(小学生)→夏(中・高校生くらい)→秋(高校・大学生くらい)→春(社会人)となっています。つまり、いずれにしても「桜の風」は全体の集大成となる訳です。

「桜の風」の歌詞にも「Ding Dong Ding Dong チャイム鳴って」(冬)、「熱い風とアクアリウム」(夏)、「秋の風に涙した日」(秋)と、過去の季節のフレーズを引用する趣向も見られます。

 まだ聴いたことのない方は上記の符合を意識しながら、夏〜冬を聴いた上で春の物語のフィナーレをぜひぜひ堪能してみてください。

 

 ……ちなみに、『THE IDOLM@STER CINDELLA GIRLS 3Chord』シリーズもメインのタイトルが「不埒なCANVAS」→「躍るFRAGSHIP」と続いているのですが、果たして……?

 


4.「STORY」島村卯月大橋彩香)、渋谷凛福原綾香)、本田未央原紗友里)、神谷奈緒松井恵理子)、北条加蓮渕上舞

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 デレマス曲の中でトップを決めるのはかなり難しいのですが、少なくとも候補の中には必ずこれが入る。この曲は自分にとってそういう曲です。

THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS ANIMATION PROJECT ORIGINAL SOUNDTRACK』という、デレマスアニメのサントラに特別に製作・収録された曲です。

 アニメの中でもよく用いられたBGM「Theme of Cinderella Girls」をベースに作られた曲で、本編中には一切流れていません。

 しかし、その内容はアニメ本編と切っても切れません。本編でもストーリーの中心に近いnew generationsとTriad Primus混合メンバーが、物語(=アイドルとなった自分)を振り返り、その喜びと感動はこれからも続いていくという内容を歌っているのです。

 デレステプレイ時にも良い曲だと思っていましたが、アニメ視聴後は聴くたびに泣ける曲になってしまいました。どうしても頑張るアイドルたちの姿が脳裏に浮かんでしまって……。親心にも似たP心が揺さぶられ、尚且つ自分も頑張らなきゃと奮い立たせてもくれます。

 日頃アニメのサントラに興味がない方にも、この曲を聴くためだけでもCDを手に取って欲しい。何ならアニメも全話見て欲しい(きちんと最後まで)。そう思えるような名曲です。
 心を洗うシャワーを流しながら、ぜひ聴いてみてください。

 

 

 

 


 いかがだったでしょうか。
 本当は他にも推したい曲はありますが、またの機会に回したいと思います。

 

 書いていて対象への思い入れが強いほど文章が乱れるという、良い教訓になりました。お金をもらっている訳でもなし、正直そこまで力を注いではいないのですけれど、せめて人に読んでもらう意識はなくさないようにしなければですね。

 

 ではでは、今回はこの辺で!

幼馴染の話

 こんにちは、モンブランです。

 先日、日曜にデレマスライブのライブビューイングに行ってきました。元々行く予定はなかったのですが、土曜に同じくライブビューイングに行ってきた後輩にプッシュしてもらい、座席の空きもあったことから急遽参戦。また一つ良い思い出ができました。

 ライブビューイングもとても楽しかったけれど、どうしても現地参戦と比較するとライブ感が一段落ちてしまいます。生バンドの演奏があったため、尚更そう思いました。

 次のライブはまたナゴヤドームの時のようにまた現地で味わいたい。決意を新たにしたモンブランPなのでした。

 

 

 

 

 さて、今回の本題は雑談です。話のバリューから言ったらライブの話の方をもっとちゃんとした方が良い感じも否めませんが、今回はお休みさせてください。ライブの余熱で書くキュートでクールでパッションな感想集(あえて感想文と言わない)も疲れるのでね。今回はゆるーく。

 

 それと、本題の前に早めに謝罪を。

 タイトルの「幼馴染」ですが、人間のことではありません。人間の幼馴染も居なくはないのですが、個人間の会話ならともかく記録に残すのはちょっと憚られるので、人ではなくもののお話です。ごめんなさい。

 

 仕事中未だに筆箱を使う機会があるのですが、ふと気づいたんです。

「この筆箱、いつから使っているんだっけ?」と。

 小学校低学年の頃に親に買ってもらって以来だから、もうじき20周年を迎えようとしています。自分のことながらまあまあビビりました。我ながら物持ちが良過ぎる。

 振り返ってみれば、一度布が破れてしまったことがありましたが(布製の筆箱です)、捨てるのが勿体無くて自分で縫って直しました。新しいものを買おうかと言われても首を縦に振らず、そのまま使い続けました。そして今に至ります。

 本当、なんででしょうね?

 最初に使っていたプラスチックの箱型の筆箱が嫌で、新しく買ってもらえたことが嬉しかったのは覚えています。嬉しかったのは本当。

 でも、ここまでずっと使い続けるほどの思い入れがあったかといえば、そうでもないような気もします。

 単に捨てるのが惜しかっただけなのかもしれません。

 ここで勘違いして欲しくないのは、ぼくは決して物を捨てられない人間ではないということです。むしろ、飽きたら容赦なく捨ててしまうタチです。一昔前に流行った「ときめくか、ときめかないか」の判断基準で、ときめかなくなった瞬間にサヨナラバイバイ。ドライと言わば言え。

 物の所有の傾向がその人の心理を体現しているという考え方もありますよね。それに照らし合わせると、僕はどういう人間なんでしょう? 両極端なのか、どっちつかずなのか?

 言ってみただけで深く考える気もないので、どなたかお手隙の際に代わりに考えてみてください。僕個人としては、相手にせずさっさと忘却してしまうのが吉だと推奨しますけれど。

 

 時を戻そう(ぺこぱ風)。

 

 長持ちしている筆箱の中には、実はもっと付き合いの長いハサミが入っています。

 筆箱は小学校低学年から。

 ハサミは幼稚園の頃から(⁉︎)

 いささか形状が子供向きであることは否めませんが、問題なく使えるものをわざわざ替える理由もなくて、ビックリするほど長く使い続けています。

 そんな彼らなので、もしもこの先本当に使えなくなってしまうことがあれば、その時は丁重に弔ってあげようと思います。文房具のお墓は流石に寡聞にして知らないのですが。

 それまでは大事に大事に使い続けてあげようと思います。おしまい。

 

 

 ではでは、今回はこの辺で!

清少納言のすすめ

 こんにちは、モンブランです。
 先日Twitterのトレンドの上位の中に「清少納言」の名前がありましたね。
 その理由はFate/GOというソシャゲに期間限定キャラとして清少納言が登場したからに間違いありません。過去の偉人や英雄を従えて冒険するRPGなので、さもありなんと言った感じです。

 

 さてさて、今回はソシャゲの話をしたい訳ではなくて、あくまで僕の敬愛する清少納言を扱いたいのです。

 

 清少納言といえば『枕草子』という随筆集で有名ですが、その書かれ方を指して昨今ではインスタグラマーやキラキラ女子のような扱いを受けることもしばしばあります。

 作中で多用される「をかし」は趣深い、それも瞬間的なものを指すことが多く、現代のSNSでいう「いいね」に近いかもしれません。

 

 

枕草子』の概要を紐解くと、ざっくり以下のようになります。

 

・自身が使える定子やその周囲の人々の器量や振る舞いを褒め称えること。

・アプローチをかけてくる貴人に対して、歌で機転をきかせてやり込めたこと。

・自分が好ましく思うもの(イケメンのお坊さんの説教など)、逆に好ましくないもの(風流を解さない最初の夫の話など)。

 

 ひと回り歳下の主人である中宮定子を相当お慕いしていたのでしょう、ほとんどが定子様愛に満ち満ちています(誇張じゃない)。

 

 清少納言の言葉遊びの巧みさや日常のちょっとした瞬間に対する着眼点は見事です。
 僕も中学生ごろから清少納言を先生と慕っていました。

 

 ところで、紫式部清少納言は険悪であるような風潮がありますが、実際のところ彼女たちに直接の面識はありません。それぞれの宮仕えの時期が異なるからです。故に清少納言から紫式部に対する言及は見つかっていません。

 

 しかし一方で、紫式部は『紫式部日記』にて清少納言を批判するような記述があります。用いている漢字が間違っているとか、プライドの高い見栄っ張りだとか、その辺りから不仲説が出ているのでしょうね。

 実際にそういう面(『枕草子』から窺える清少納言)もなくはないですが、立場の問題から紫式部に日記を書かせた事情もあるかもしれません。

 紫式部が宮仕えを始めたのは、清少納言が仕える前中宮定子が内裏を去り、彼女が仕える彰子が中宮になる時から。

枕草子』が読まれるようになり、定子の時代を懐かしむ雰囲気が湧き起こったため、彰子に仕える紫式部としては面白くなかったのでしょう。“をかし”と“あはれ”、それぞれ好むところも違ったでしょうし、いずれにしても相性は良くなかったかもしれません。

 

 ついでに『紫式部日記』効果もあったのか、『枕草子』を批判的に見る学者も現れ始めました。

「大変な時期だったのに呑気なこと書いてる場合じゃないだろ!」みたいな。

 その通り、清少納言が『枕草子』で記述している時期は、定子にとって苦難の時期でもあったのです。
 父の藤原道隆が亡くなり、兄の伊周が太宰府に流刑に処され、権力を得たい叔父の道長から数々の嫌がらせを受け……。
 それを思えば、男との別れ際に関して云々言ったり、姑に褒められる嫁は主人のことを悪く言わない使用人並みに滅多にいないとか言ったりしている場合ではないでしょう。

 

 ただ、あくまで『枕草子』は随筆であって、歴史書や宮廷の記録書ではありません。
 決して長くはなかった定子との思い出を具に抜き出して、その“をかし”に浸りたかったのではないでしょうか。

 

 それを想うと、機知に富んでいたりユーモアさえ感じさせたりもする『枕草子』も、刹那的で少し寂しくもあります。

 

 教科書にも載っている古文、というように構えることなく、昔の感覚の鋭敏な人のTwitterみたいな楽しみ方をしてみてはいかがでしょうか。

 

 尊敬する清少納言先生の薦めにしては物足りない気もしますが、思いの丈はあらかたお話しできたかと。

 

 ではでは、今回はこの辺で!
 ……バレンタイン? 知らない子ですね。

晴れの日も雨の日も本を読みたい(3)

 こんにちは、モンブランです。

 暖冬とか言われていたこの冬ですが、ここ最近急に寒くなりましたね。インフルエンザも流行っているらしく、良くも悪くもこの時期らしくなりました。体調に気をつけて暖かくして過ごしましょう。僕に言われるまでもなく。

 

 さて、今回は久しぶりに最近読んだ本の話をしたいと思います。近頃は仕事やプライベートの忙しさに加えて、シャドウバースに時間を割いていたため、あまり本を読めていませんでした。
 それでも寝る前などに少しずつ読書時間を確保して、やっとブログに書ける程度にはいくつかの本を読み終えました。趣味と実益を兼ね備えた読書時間はやはりゼロにはできない。
 という訳で、早速読んだ本の紹介をしていきたいと思います。

 

 

 

 

1.森見登美彦『夜行』小学館文庫

 

夜行 (小学館文庫)

夜行 (小学館文庫)

 

 

『四畳半〜』や『夜は短し歩けよ乙女』などに見られるような冗舌・詭弁に満ちた“森見登美彦節”は、この小説では鳴りを潜めています。『きつねのはなし』寄りでしょうか?

 あらすじは以下の通り。

 10年ぶりに同じ英会話スクールに通っていた仲間たちが集まり、鞍馬の火祭に出かけることになります。“私”はその途中で見かけた「夜行」という絵画について打ち明けると、仲間たちもそれぞれ旅先で「夜行」に出会っていました。この連作絵画「夜行」にまつわる不思議な出来事をそれぞれ語り合い、同時に10年前に姿を消した長谷川さんの存在が頭を過ぎります。「夜行」とは何なのか、そして長谷川さんに再会することはできるのか?

 この小説は仲間たちが語る尾道奥飛騨津軽天竜峡それぞれの話が続く連作短編集で、「夜行」をベースとした1つの物語でもあります。
 仲間たちの語る話は不思議でそこはかとなく不気味な内容です。語る彼らがその場に平然と居るのも不思議なくらいで、読めば読むほど謎に包まれていきます。
 怪談というと怖い話を想像するでしょうけれど、『きつねのはなし』もそうなのですが、この小説では不思議が前面に出ていて、その静謐さが返って怖く思えてくるようになっています。
 静かな夜にそっと手に取って読むのにオススメです。
 物足りなくなった人は『四畳半〜』へGO!

 

 

 

2.小山薫堂恋する日本語幻冬舎文庫

 

恋する日本語 (幻冬舎文庫)

恋する日本語 (幻冬舎文庫)

 

 

「あえか」「那由多」「玉響」、時々見かけることはあっても意味をよく知らない、説明ができない日本語ってありますよね。
恋する日本語』はそういう日本語をピックアップして、そこからイメージを膨らませた短い恋物語集です。
 構成としてはまずタイトルの日本語、挿絵を含めた2ページの短短編があって、その次に物語のイメージの元となった日本語の意味が書かれているという順番になります。
 本の読み方をいちいち指図するのも野暮ですが、野暮を承知でこの本を読む手順を紹介させてください。
①各ページのタイトルとなる見慣れない日本語の意味を想像する。
②本文の短い文章をゆっくりと読んで、その映像を頭に思い浮かべる。
③タイトルの日本語の意味を知り、意味と物語の繋がり、そして日本語の奥ゆかしさを感じる。
 本文が短いので時間がない方にはもちろんのこと、時間をかけてゆっくりと咀嚼できる余裕のある方にも強くオススメできる本です。
 僕のデレマスでの担当アイドル、高垣楓さんの持ち歌の題でもある「恋風」についても書かれているのがポイント高い(笑)。

 

 

 

 

3.森まゆみ『子規の音』新潮文庫

 

子規の音 (新潮文庫)

子規の音 (新潮文庫)

  • 作者:森 まゆみ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/10/27
  • メディア: 文庫
 

 

 明治期に俳句・短歌に果敢な革新運動を起こした正岡子規の35年の短い生涯を追った評伝です。
 以前、NHKでもスペシャル大河として放送されたこともある司馬遼太郎さんの小説『坂の上の雲』読んだことが、正岡子規のことを深く知るきっかけになりました。
 学校の授業での子規は病に苦しんだ人というイメージが強かったのですが、小説と共にこの評伝で見事に打ち砕かれました。
 伊予松山(現在の愛媛県)に生まれた子規はよく学び出世欲が強く、大学に入るべく松山を飛び出して若くして上京しました。しかし、予備門を経て大学に入学を果たすものの、子規は文学やベースボールに熱中します(ちなみにベースボールを野球と訳したのは彼とされています)。
 やがて結核を患い、大学を辞めてからも子規は精力的に俳句や短歌などの文学活動を続け、多くの人との繋がりを築きました。子規の開いた句会には文豪夏目漱石森鴎外などの壮々たる面々が参加しています。
 特に漱石とは学生時代からの親友で、彼が小説を書くようになるきっかけを与えています。
 文学に熱中し、多くの人々を惹きつけ、病に苦しみながらも全力で生き抜いた人。今ではそういう印象を子規に対して持っています。
 評伝というと堅苦しいもののように思えるでしょうが、全編通して彼の句や歌と共にユーモラスに書かれているため、とても読みやすかったです。
 少しでも興味があれば、正岡子規の不思議な魅力に近づいてみませんか?

 

 

 

 

 


 さてさて、いかがだったでしょうか。
 珍しくミステリを読んでいませんね。明治期の文学の人について触れていてアカデミックですらある? そうでもないかな。

 正岡子規という人は僕の中でも前から大きな存在で、最近発売された評伝を読んでみてもまた新たな発見がありました。
 子規は漱石と交流が深かっただけでなく、一緒に住んでいたこともあったんですよ。大学の頃に研究していたこともあって、漱石を知っている身としては、よくもあんな気難しくて神経質な人が他人と暮らせたな、と(笑)。
 そのぐらい子規には人を惹きつける何かがあったのでしょう。もっと長生きできていたらとか、現代に生きていたらとか、僕にとって“もしも”が尽きない人です。

 

 今回の記事が少しでも新しい読書のきっかけになれば幸いです。

 晴れの日も雨の日も、ゲームばかりやっている日もやっぱり本を読みたい!

 ではでは、今回はこの辺で!

抱えない負わない

 こんにちは、モンブランです。
 明けましておめでとうございます。……明けましてご無沙汰しております?
 ともあれ、今年もよろしくお願いします。

 

 

 さて、一月ももう半ばを過ぎましたね。新年のあれやこれやをこなしているうちに時間が溶けて消えたような感覚です。
 親戚への挨拶まわりに行ったり、そこでその家のおせちの栗きんとんを食べ尽くしたり(?)。

 年賀状も令和に入ってからはめっきり出さなくなってしまったものの、直接顔を合わせるのが難しい友人たちや数少ない恩師とは引き続き年賀状での交流を続けています。
 実家の両親も今年はなるべく出す年賀状を控えていたようですが、出していない人から届いて悲鳴を上げていました。僕はセーフ。7通しか出してませんし。

 

 あとは新年と言えば何だろう、……あー、そうそう、ソシャゲですね。
 新年ということでキャンペーンをやるソシャゲが多々あってそちらも忙しかったです。
 デレステの無料10連は初日にフェス限2人を引いたっきりSSRを何も引けなくなって苦虫を噛み潰しました。FGOは福袋で念願のメルトリリスを引けて感動。プリコネはまあそこそこ。

 

 中でも年末から新弾が追加されたシャドウバースは今に至るまで大忙しです(この話長いので、シャドバに興味ない方は要スキップ)。

 

 

 ウィッチ使いの僕としてはウィッチの復権が嬉しいですね。プレリリース時に配信などを見てプレイングを勉強しておいたおかげで、グラマスまではサクッと行けました。

 元々地道な努力が嫌いでそれ故にラダーも大嫌いなのですが、最近はランクマに入る前に対面ごとのプレイングやマリガンをキッチリカッチリ予め決めてから挑むようにしてから、勝率と効率が上がりました。

 UCL環境は圧倒的なTier1(式神ウィッチ、妖怪ネクロ)が居るものの、メタも回っているためゲームとして楽しいです。

 少し前に進化ロイヤルの練習をしていてほぼ全対面で互角以上に闘えたため、ギルドメンバーでもある優秀な後輩と敢えて不利対面のネクロと10先をやったものの3-10でボロ負けでした。負け越すことは相性から元々分かっていましたが、それにしたって負け方が酷い。後で見直してみたら、相手の上振れ以前にこちら側のプランニングが良くなかった。もっとこちらの盤面に付き合わせるプランにすればもう少し勝てたかなーと反省。

 他のクラスでもヴァンパイア以外は結構プレイングや構築に考える余地があって面白いです。ネクロ対面の終盤戦は盤面を作る時にシノブのUB警戒で体力3以下を作らないようにしよう〜とか、ギンセツ前にはなるべく盤面を空けておこう〜とか(ネクロの話が多い)。ウィッチ対面では自分と相手それぞれのターンの時間で考えるべきことをあらかじめ整理しておいたりも(相手の仮想スペルブースト数、こちらの手と盤面から出せる最高打点など)。

 本格頭脳eスポーツも伊達ではなくなってきていますね。難しい環境だからこそカードゲーマーの血が騒ぎます。…………みんながTier1握ると勝ち負けが引き次第になる運ゲー要素からは目を背けつつ。

 

 そういえば、ブログではあまりこういう話をしていませんでしたが、実は僕はカードゲーマーでもあります。今はシャドバが中心ですが、昔はデュエマ・遊戯王ポケカなどをやってました。今回はあくまで新年についての話なので、詳しくはまたの機会に回したいと思います。

 

 

 というか、そう、新年についての話をしていたんですよ。ここまでシャドバの話をするつもりはなかったのに。ここ最近いかにシャドウバースに脳のリソースが割かれているのかが露呈してしまいました。

 

 新年の抱負とか特にありません。
 強いて言えば生き残ること。平穏な生活と夜に安心して熟睡できることは決して楽ではないのです。
 僕個人の努力だけでは叶わないことなので、初詣にも行っていないけれど、神様お願いします。しんどかった去年のようにならずに、今年こそは平穏に過ごせますように!

 そして、そろそろ1周年になるこのブログも、これからもどうぞご贔屓に。
 ではでは、今回はこの辺で。

さらば厄年、おいでませ新年。

 こんにちは、モンブランです。

 いよいよ2019年が終わりますね。日々は目まぐるしく過ぎて行き、色々あったはずなのに明日になると新年になるというとあっという間に感じられます。

 ゆく年くる年の31日。真面目に振り返ろうとすると、厄年にあったロクでもない事柄ばかりが思い出されてしまうので、今年の楽しかったことや新年に向けてのことを簡単につらつらと書いていこうかと思います。

 

 

 

・デレマスの話

 

 僕の味気ない日々の光となってくれたアイドルマスターシンデレラガールズ。今年の僕もずっと彼女たちに支えられっぱなしでした。

 新加入や新しく声がついたアイドルたちなど、様々な出会いがあって全く飽きることなく沼に溺れ続けました。久川姉妹は良いぞ。

 楽曲もそうですね。特に、念願の楓さんの2曲目が作られて、高垣楓担当Pとして感涙ものでした。前回の雑談の中でもガッツリ語られていて、我ながらどうかと思いましたが、そのくらい嬉しかったのだと察していただければありがたいです。元々好きだった「Stage Bye Stage」が9人verでデレステに実装されたのも圧倒的感謝!

 そして、ライブ参戦2年目! まさか2年続けてライブに行くことになるとは、去年の僕からしたら夢にも思わなかったでしょう。

 去年は去年で魂を現地に置き忘れてしまったくらいに感動したし、今年は今年で胸がいっぱいになるほどのパワーを貰えました(詳しくは別記事参照)。

 ライブは生き物だと以前人から言われたことがあるのですが、その言葉を身をもって実感しました。一つとして同じライブはなく、その時その場所でしか喜びと感動を味わえません。それ故に行って良かったと心から思えるし、また行ってみたいとも思えるのでしょう。

 来年もあったら、きっと行きます。

 アイドルたち、新年も引き続きモンブランPをよろしくお願いします。

 

 

・小説の話

 

 僕の著作を読んでない人は読み飛ばしてください……と言わねばならないところですが、本音を言えば僕の著作を読んでくれと言いたいです。好きで書いているものとは言え、誰かに読んでもらって更には感想まで伝えてもらえるとやり甲斐と嬉しさが倍以上になりますから。

 まあ、それはさて置き今書いている小説の話。

 いつからか僕の代表作になってしまった『兄妹シリーズ』は今年は結構ハイペースで話が進みました。

 読者人気No. 1の香純ちゃんの家族問題が解決し、色々と浮き彫りになる修学旅行編も終え、回収すべき伏線や消化したいエピソードも残り僅かとなってきました。

 そうは言うものの、まだ終わりませんけどね。主人公がどのヒロインとくっつくのかもきちんと決着を付けないといけませんし。一人のラブコメ読者として、そこは半端にするつもりはありませんので信用していただきです。

 そして、存在と暗躍を仄めかされているラスボスとの対決(?)も控えています。2020年中の完結は厳しいかもしれませんが、楽しく頑張って進めていけたらなあと。

 他の作品についても頑張って書きたいですね。プロットだけできていたり、本文を書き始めていてもノリと時間などが合わなくて進まなかったりなどしているので、そういうのも何とかしたいです、本当に。

 

 

・ブログの話

 

 今年の1月の下旬くらいにこのブログを始めて、早いものでもうすぐ1周年を迎えようとしています。マジで早い。

 いざ始めてみたら続くもんだなぁとしみじみとしております。

 そもそもが後輩からブログを始めろとせっつかれて、僕自身も何となく興味があったから何となく始めたものでしたから、主体性のある始まりではありませんでした。

 それに、小説のネタが潰れたり書く時間が減ったりしそう、始めるための準備がめんどくさそうという理由で渋っていた時期もありました。

 それが今となっては日常の一部に組み込まれているんだから面白い。クオリティについては自分では判断がつきませんが、ブログを書く行為自体は自分に向いていたのかもしれません。

 フィクションの中にノンフィクションを織り混ぜるのも面白く、ノンフィクションをそのまま書き留めるのも尚面白いということでしょうか。

 あり触れた日常の中から面白い部分を掬い取ったり、大したことない出来事を面白そうに仕上げる行為は物書きとしての成長にも繋がっていると感じています。ブログを始める前に懸念していたネタが減るというようなこともなく、むしろ小説を書くペースが更に早くなったまでありますから。

 書くのが嫌になったら、あっさりブログはやめます。

 でも、今のところは全くやめるつもりがないので、楽しく書きたいだけ続けていきたいです。

 ですので、今後ともこのブログにお付き合いいただければ幸いです。

 

 

 

 さて、こんな感じで良いでしょうかね。

 嫌なことは臭いものに蓋理論で封じ込め、さも今年は楽しいことがいっぱいだったかのように振り返れましたね(?)。

 雑談にしても好きなことを紹介する記事にしても、今年は色々書いてきましたが、新年もきっと書くことは変わらないでしょう。

 読んでいる方におかれましても、本年と変わらぬお付き合いを賜れば幸いに存じます……。

 

 それじゃっ、新年もよろしくお願いしま〜す。

 ではではっ!

床屋に行ってきたとこや

 こんにちは、モンブランです。

 先ほど床屋に行って髪を切ってきました。

 おしまい。

 

 

 

 

 

 というのも寂し過ぎるので、もう少しだけ。

 

「床屋に行ってきたとこや」というダジャレめいたタイトルからして、僕の担当するアイドル高垣楓さんを連想した方は少なくないはず(少ない)。

 楓さんの担当Pは恐らく主に、お茶目な楓さんを嗜めるタイプか、一緒になってボケるタイプに分かれると思います。

 僕は完全に後者ですね。

 もっと言えば、楓さんのダジャレに対してダジャレで返して「あらお上手」と言われたいタイプです。

 楓さんとアットホームな雰囲気の居酒屋に行って気持ち良くお酒を飲み交わしたい。コミカライズの舞台となっている「居酒屋しんでれら」は理想郷と言っても過言ではないと思います。

 楓さんと言えば、ソロ2曲目はもう聴きましたか?

THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS STARLIGHT MASTER 34 Sunshine See May』に収録されている「Blessing」です。

 作詞は1曲目の「こいかぜ」と同じく貝田由里子さん、作曲は「EVERMORE」「M@GIC☆」を始めとした数多くの名曲を手掛けた田中秀和さんという最強の布陣。約束された勝利の名曲です。

「こいかぜ」で楓さんのユーモラスな部分を取っ払われて相当に美化されていましたね(?)。

 その一方、「Blessing」では高垣楓の飾らない姿、年に似合わぬ無邪気な可愛らしさが歌われています。

 しっとりとしたバラード調とノリの良いサンバ調が混ざりながら進行していく調子は、楓さんの振り幅の大きさが反映されているのかなと想像できました。

 同じ作詞家さんで「Blessing」の中でも「こいかぜ」と同様に「風」という言葉が用いられています。そのため、2曲の間の違いや変化を綴られた詞からも比較してみても面白いかもしれません。

 みんな、絶対に聴いてみてくれよな!

 

 

 

 

 

 

 何の話をしていたんだっけ。

 床屋の話です。

 盛大に脱線してしまい申し訳ありませんでした。オタクは好きなことになると途端に口数が多くなる生き物です故、どうかご容赦くださいませ。

 床屋について話すことがないかと言えば、そうでもないんですけどね。

 

 

 昔の僕は床屋に行くのが苦手でした。

 理由は単純。知らない大人に刃物を顔に近づけられたくなかったからなんです。

 考えてみれば結構怖くありませんか?

 日頃「指を切らないように気を付けろ」と言われているハサミを頭に向けられ、髭の生えていた父や祖父には剃刀なんて未知の刃物が頬や顎に当てられるんですよ。怖いでしょう。前に剃刀負けしたと言って顎から血を滲ませていた祖父を見た時は僕の方が半泣きになっていたらしいです(母談)。

 そんな繊細で面倒臭い子どもだった僕は、小学校に上がる前までは祖母に散髪してもらっていました。当時は祖父母と別の県に住んでいたため、次に会いに行くまでの数ヶ月間に髪は伸び放題です。幼少時の僕の写真が長髪で写っているものが多いのはそのせいです。

 ただ、いつまでも祖母頼みという訳にもいかないので、業を煮やした両親は小学校へ上がったと同時に僕を床屋へ放り込みました。

 恐怖の床屋デビューです。

 刃物を持った大人がたくさん。中には頭を洗面台のようなところに埋められている人まで。

 頭や頬から血は出ないだろうか。頭を洗われる時に目にシャンプーが入らないだろうか。

 自分の出番が来て強張った顔で高い椅子に座る僕(小学1年生)。

 怖いなぁ怖いなぁ。怯える僕の内心を知ってか知らずか理容師さんのハサミが僕の頭に近づき…………。

 

 

 

 

 スッキリとした髪型にカットしてもらえました。

 当たり前ですよね。髪を切ることを生業としたプロにお金を払ってお願いしている訳なんですから。

 頭を洗うのはまあ人によって上手い下手はありますけれど、概ね気持ち良く洗ってもらえました。

 いざデビューしてみたらアッサリとしたものです。

 

 

 以降は祖母に頼ることなく、近くの床屋さんに散髪に行っています。今日も行ってきました。

「失恋したら髪を切れ」なんて言いますけれど、なるほど確かに失恋の鬱屈した気分をさっぱりさせるのにちょうど良いかもしれません。

 失う恋のない僕は純粋にさっぱりしただけなので、ますます得した気分です。本当か?

 

 

 そんな訳で途中で脱線もしたものの、床屋に行ってきたお話でした。

 増税の煽りを受けて少しだけ値段が上がっていましたが、出来上がりには今日も満足。

 良い気分で年末を迎えられそうです。

 

 ではでは、今回はこの辺で!