こんにちは、モンブランです。
暖冬とか言われていたこの冬ですが、ここ最近急に寒くなりましたね。インフルエンザも流行っているらしく、良くも悪くもこの時期らしくなりました。体調に気をつけて暖かくして過ごしましょう。僕に言われるまでもなく。
さて、今回は久しぶりに最近読んだ本の話をしたいと思います。近頃は仕事やプライベートの忙しさに加えて、シャドウバースに時間を割いていたため、あまり本を読めていませんでした。
それでも寝る前などに少しずつ読書時間を確保して、やっとブログに書ける程度にはいくつかの本を読み終えました。趣味と実益を兼ね備えた読書時間はやはりゼロにはできない。
という訳で、早速読んだ本の紹介をしていきたいと思います。
『四畳半〜』や『夜は短し歩けよ乙女』などに見られるような冗舌・詭弁に満ちた“森見登美彦節”は、この小説では鳴りを潜めています。『きつねのはなし』寄りでしょうか?
あらすじは以下の通り。
10年ぶりに同じ英会話スクールに通っていた仲間たちが集まり、鞍馬の火祭に出かけることになります。“私”はその途中で見かけた「夜行」という絵画について打ち明けると、仲間たちもそれぞれ旅先で「夜行」に出会っていました。この連作絵画「夜行」にまつわる不思議な出来事をそれぞれ語り合い、同時に10年前に姿を消した長谷川さんの存在が頭を過ぎります。「夜行」とは何なのか、そして長谷川さんに再会することはできるのか?
この小説は仲間たちが語る尾道、奥飛騨、津軽、天竜峡それぞれの話が続く連作短編集で、「夜行」をベースとした1つの物語でもあります。
仲間たちの語る話は不思議でそこはかとなく不気味な内容です。語る彼らがその場に平然と居るのも不思議なくらいで、読めば読むほど謎に包まれていきます。
怪談というと怖い話を想像するでしょうけれど、『きつねのはなし』もそうなのですが、この小説では不思議が前面に出ていて、その静謐さが返って怖く思えてくるようになっています。
静かな夜にそっと手に取って読むのにオススメです。
物足りなくなった人は『四畳半〜』へGO!
「あえか」「那由多」「玉響」、時々見かけることはあっても意味をよく知らない、説明ができない日本語ってありますよね。
『恋する日本語』はそういう日本語をピックアップして、そこからイメージを膨らませた短い恋物語集です。
構成としてはまずタイトルの日本語、挿絵を含めた2ページの短短編があって、その次に物語のイメージの元となった日本語の意味が書かれているという順番になります。
本の読み方をいちいち指図するのも野暮ですが、野暮を承知でこの本を読む手順を紹介させてください。
①各ページのタイトルとなる見慣れない日本語の意味を想像する。
②本文の短い文章をゆっくりと読んで、その映像を頭に思い浮かべる。
③タイトルの日本語の意味を知り、意味と物語の繋がり、そして日本語の奥ゆかしさを感じる。
本文が短いので時間がない方にはもちろんのこと、時間をかけてゆっくりと咀嚼できる余裕のある方にも強くオススメできる本です。
僕のデレマスでの担当アイドル、高垣楓さんの持ち歌の題でもある「恋風」についても書かれているのがポイント高い(笑)。
明治期に俳句・短歌に果敢な革新運動を起こした正岡子規の35年の短い生涯を追った評伝です。
以前、NHKでもスペシャル大河として放送されたこともある司馬遼太郎さんの小説『坂の上の雲』読んだことが、正岡子規のことを深く知るきっかけになりました。
学校の授業での子規は病に苦しんだ人というイメージが強かったのですが、小説と共にこの評伝で見事に打ち砕かれました。
伊予松山(現在の愛媛県)に生まれた子規はよく学び出世欲が強く、大学に入るべく松山を飛び出して若くして上京しました。しかし、予備門を経て大学に入学を果たすものの、子規は文学やベースボールに熱中します(ちなみにベースボールを野球と訳したのは彼とされています)。
やがて結核を患い、大学を辞めてからも子規は精力的に俳句や短歌などの文学活動を続け、多くの人との繋がりを築きました。子規の開いた句会には文豪夏目漱石や森鴎外などの壮々たる面々が参加しています。
特に漱石とは学生時代からの親友で、彼が小説を書くようになるきっかけを与えています。
文学に熱中し、多くの人々を惹きつけ、病に苦しみながらも全力で生き抜いた人。今ではそういう印象を子規に対して持っています。
評伝というと堅苦しいもののように思えるでしょうが、全編通して彼の句や歌と共にユーモラスに書かれているため、とても読みやすかったです。
少しでも興味があれば、正岡子規の不思議な魅力に近づいてみませんか?
さてさて、いかがだったでしょうか。
珍しくミステリを読んでいませんね。明治期の文学の人について触れていてアカデミックですらある? そうでもないかな。
正岡子規という人は僕の中でも前から大きな存在で、最近発売された評伝を読んでみてもまた新たな発見がありました。
子規は漱石と交流が深かっただけでなく、一緒に住んでいたこともあったんですよ。大学の頃に研究していたこともあって、漱石を知っている身としては、よくもあんな気難しくて神経質な人が他人と暮らせたな、と(笑)。
そのぐらい子規には人を惹きつける何かがあったのでしょう。もっと長生きできていたらとか、現代に生きていたらとか、僕にとって“もしも”が尽きない人です。
今回の記事が少しでも新しい読書のきっかけになれば幸いです。
晴れの日も雨の日も、ゲームばかりやっている日もやっぱり本を読みたい!
ではでは、今回はこの辺で!