モンブランは静かに暮らしたい。

静かに暮らしたいのに、好きなことの話をすると静かでなくなってしまうブログです。

生と死について考えることなど

 こんにちは、モンブランです。

 令和になりましたね。平成が明けました。ついでに言えば、大型連休も明けました。
どのような立場であれ皆さん大なり小なり不調だと思いますが、とりあえず目の前の今日から頑張りましょう。

 

 さて、ここしばらくはデレマスについて語りまくっていて、ブログというより記事のような体を成していましたが、今回は久しぶりに日記を書きたいと思います。

 それも、今まで以上に日記らしいかもしれません。他人よりも自分に向けて書いているので丁寧語も抜けていますし、エッセイみたいな他人が読んで面白いようなものでもないこと請け合いです。

 本来外に発信しなくても良いけれど、それでも書くことで少し整理しておきたい、その媒体としてブログが丁度良かっただけのことです。

 なので、今回のブログはあまり読むことはオススメしません。読んでいただいて感想やコメント、総選挙の票も何も望みません。
 それでも良ければ、すこーしだけ僕のパーソナルな部分にお付き合いください。

 ではではっ。

 

 

 

 

 人の生き死にの話なんて、日記にしか書けない。雑談にするには重過ぎるし、そもそも雑談の中でこんな重たい話をするやつだと思われると、相手との今後の関係にも若干響きそうなので自重しておく。相談しようにもどうしようもないことなので、日記の中でぼやくのが相応しいだろう。
 去年の夏頃に、仲の良かったおじを亡くした。肺がんだった。まだ70も行っていない歳だったけれど、2、3年前くらいから病魔がおじの身体を蝕んでいたらしい。ただ、おじはそこそこ立場のある人で、それ以上に意地っ張りな人だったから、僕を含めて殆どの周りの人たちには口外していなかった。
 なので、母から似合わぬ重い口調でおじが亡くなったと電話で聞かされた時は、驚きのあまり「は?」と言ったっきり頭の中が真っ白になってしまった。まだとても死ぬような歳ではなかったし、病気のことも全く知らなかったし、生きていた時のインパクトが強かった人だったからだ。
 水産関係の仕事をしているため、遊びに行くたびに美味しくて新鮮な魚を持たせてくれたり、「小遣いだ」と言って諭吉さんを財布から放られたり、孫が生まれてすっかりコワモテが崩壊して、いつも座ってる居間が孫のおもちゃや写真だらけになっていたり。そんな人がもう居なくなってしまったことが信じられなかった。
 都合が合わなければ休みを貰おうと思ったけれど日取りが丁度僕が休みのタイミングだったので、僕は地元に帰り、法事に参列した。
 まあ、そこでも色々あったのだけれど、火葬した後に骨を拾うのは大好きだった祖父が死んだ時のことを思い出して辛かったし、あっけなく、そして早くに祖父を亡くしてしまった孫たちのことを思うと可哀想だった。やっと上の子が小学生に上がったばかりだというのに。
 それからも法事は続き、去年の暮れにそのおじの母にあたる大叔母?(正しい呼び方がわからない)が亡くなった。正直、その人はもうだいぶ歳が行っていて認知症にもかかっていたからおじが亡くなったこともわかっていなかっただろう。ほぼほぼ大往生だ。最近は全く会えていなかったけれど、遊びに行くたびにお菓子をどっさりくれたり、庭に蝉を取りに行った時は虫取り網を持っていた僕に対し手掴みで蝉を捕獲しそのまま渡されてビビったり、といった思い出は今でも記憶に残っている。
 人が死ぬのは苦手だ。得意な人は居ないだろうけど、とりわけ僕は苦手な方だと思う。「死ね」とか「殺す」とか軽口や冗談でも言えない。寿命や病気があることは重々承知していても、素敵で大好きな人たちを奪っていく死を、僕はやっぱり受け入れられない。
 平成最後の日、先日連休で実家に帰った時、父から前立腺ガンになったと打ち明けられた。演出家の宮本亜門さんも罹ったアレだ。去年の暮れに受けた人間ドックで引っかかり、今年の2月頃には前立腺ガンだとわかり、ガンのステージがわかったのはつい最近だそうだ。またまた「は?」と言ったっきり頭が真っ白になるお時間だ。
 その後も淡々とした口調で父本人から症状について聞かされ、どうやら早期発見らしくガンの転移は見られないため、治療すれば今後10年の生存確率は100%だそうだ。治療というのは、手術でガンの大元である前立腺を摘出するか、放射線治療を行うかの二択らしい。どちらの治療を行うかをお医者さんと相談中らしく、連休明けには結論を出すとのことだ。どちらの治療もそこそこ長い間日常生活に少々支障を来すため、面倒だなぁと父母共にぼやいていた。父本人も言っており、自分でも改めてネットで調べてみたけれど、現状で命に関わることはなさそうなので、動揺しながらもそこは安心した。
 まあ、それにしたって前立腺ガンについて調べた検索履歴をすぐに消してしまうくらいには、嫌な気持ちになったけれど。
 父はかなり合理的な考え方の持ち主なので、目処はついている自分の治療の話はさておき、僕の方に話を移した。ガンは遺伝しやすいので、僕が同じガンに罹る可能性が高いということだ。
 今まで我が家でガンに罹った人は居なかったらしいけれど、前立腺ガンは高齢で罹るとガンよりも先に寿命の方が来てしまうくらいなので、気づかなかっただけかもしれない。そもそも、今回父のガンが見つかったのは昨年の人間ドックで新しい検査をしたからで、詳細な検査をしなければわからなかったくらいで、要は気づかなかっただけで我が家のお歴々も本当はガンに罹っていた可能性も否めない。
 さて、そんな訳で僕もガンに罹る可能性があるということは、保険の方を考えなければならないということだ。まだ若いしすぐにでも入らなければならない訳じゃないけど、と父は言っていたが、社会人になって父の保険を外れた以上、僕がもしガンに罹ったら治療費がバカにならない。そう遠くない内に考えなければならない。
自分がガンになったばかりだというのに、よくそんなことを考えてられるなと思ったけれど、ここは素直に父に感謝すべきところなのだと思う。話を聞かされた当時は伝える気力も余裕もなかったけれど。
 こんな風に、普通に暮らしていても身近に思わぬ方向から死の気配が這い寄ってくるので、本当に怖い。生だ死だなんて、自分のことや周りのことでも考えたくもないのに。
 時々このまま生きてても良いことあるのだろうかと思ったり、目の前に全く苦しむこともなく死ぬことができる毒薬があったとしたらそれをヒョイと飲み込んでしまいそうな衝動に駆られたりすることもあるけれど、それでもやっぱりまだ死にたくない。生きていたい。
 やりたいことが多く欲望まみれで死んでる暇などないし、だいぶ自惚れているけれど僕が死んで悲しむ人たちも居るだろうからだ。自分がされて嫌なことは他人にもしない、簡単な道理だ。
 なので、そう思っていられる内は好きなことや好きな人たちのことを考えながら、何とか生きてみようと思う。
 僕は死にましぇん。まだ生きることが好きだから。