モンブランは静かに暮らしたい。

静かに暮らしたいのに、好きなことの話をすると静かでなくなってしまうブログです。

続・ラブコメを駄弁る。

 こんにちは、ラブコメ評論家のモンブランです。嘘です。

 最近またちょっとラブコメについて駄弁りたいことがあり、こうして筆を執らせてもらいました。以前にもこんなこと書いたなーと思ったのですが、

 

https://monbran-likes-gentle-life.hatenablog.jp/entry/2019/06/18/183926

 

 書いたの3年前だったんですね。自分の感覚ではちょっと前くらいだったのに……。

 まあ良い。それは良いんだ。今日のメインテーマはこちらです。

 

 

 ブコメ主人公はどこまで理性的であるべきか?

 

 

 これを考えるきっかけは、少し前に『義妹生活』の最新刊を読んだ時でした。

 

 

 以前も確かブログに書いたかな。最近のラノベの中では一押しの作品ではあるのですが、完全肯定している訳ではないのです。

 個人の感想。あくまで個人の感想なのですが、展開が遅いなーと思って。1冊を要約すると箇条書き3つくらいに纏まってしまうのはちょっと物足りなく感じてしまいます。

 4巻でようやく両思いを打ち明けあって、5巻では1冊かけてキスまで行くのかなーと予想していたら、本当にその通りになりました。

 日常部分を丁寧に描くのも良いのですが、物語の本筋に関わっていないと、どうしても展開運びを失速させる要因になります。ここでは関係ないですけど、最近の日本のドラマをつまらなくしている要因でもある気がします。あくまで個人の感想ね。

 以上のような趣旨のツイートをしたら、作者さんに見つかって焦りました。迫真エゴサ部怖い。ただディスっている訳ではなくて、何の責任も負わない個人の意見に過ぎず、これからも続刊を楽しみにしてますよ。

 

 

 はい、前置きが長くなった! 今回のメインテーマに沿った話をしましょう。この『義妹生活』でピックアップしたいのは主人公です。

 そもそも義妹ができるということは親の再婚があり、それ以前に実の両親の離婚を経験しているんですよね。母が出て行き、主人公は父親との2人暮らしを続けてきたこともあって、女性に対して一歩距離を置くようになり、周りよりも大人びた性格をしています。

 一方ヒロインの義妹もまた、似た境遇の為大人びた性格をしていて、同年代の異性と暮らすにあたって2人は早々にルールを決めるなど線引きをして、反抗することなく『義妹生活』を受け入れました。

 かように理性的であろうとする2人ですが、あくまで「大人びている」だけであって、大人ではないのです。未熟な部分もあり、ブレーキを踏み切れない場面もあります。

 ラブコメ的にはそこが美味しい。

 理性で堪え切れない想いが関係と物語を前に進めてくれるのです。

『義妹生活』ではヒロインの方のブレーキが良い具合に壊れるのが早かったのですが、主人公の側がかなり時間が掛かっています。3冊掛かっています。

 主人公と義妹が現在の生活を続ける為に、距離を縮めたり逆に距離を置いたりすることを「すり合わせ」と呼んで、作中でかなり多用されているのですが、段々異性としての意識を誤魔化す為の免罪符として使われるようになってきて、読んでいて若干イラッとしました。

 じれったさもラブコメの醍醐味ではあるんです。でも、恥ずかしさをそのまま出してくれるから微笑ましいのであって、理屈を捏ねて誤魔化されても遅延にしか思えないのです。

 特にそれが顕著だったのは、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』でした。

 

 


 こちらも主人公は数学以外は勉強ができて賢いけれど、捻くれぼっちというキャラです。

 最初のうちは彼が織りなす屁理屈が面白く読めていたのですが、物語が佳境に入り恋愛の比重が増していくにつれて、段々と付き合いきれなくなりました。

 多くの言葉を費やしても主語や目的語が抜けていたり、それで伝えた気になっていてすれ違いが生じたり、というのはネタとしての「面倒くささ」ではなく、本当にただ面倒くさいだけになっていました。俺ガイルの人気が落ちたのは続刊が中々出なかったことよりも、読者がそれに付き合いきれなくなったのもあると思います。

 

 

 

 このように、理性的な面がブレーキになる例が多くあるのに、理性的で賢い主人公はなくならないんですよね。

『五等分の花嫁』然り『ぼくたちは勉強ができない』然り、それ以前からも初期設定として勉強ができる主人公が数多く挙げられます。

 恐らく、学生時代に勉強ができなかった読者のコンプレックスが投影された結果なんじゃないかと邪推しているのですが、それが必ずしもラブコメに噛み合っているとは限りません。

 唯一上手くやっているのは、文化祭編までの『かぐや様は告らせたい』だと思います。

 

 

 サブタイトルに「天才たちの恋愛頭脳戦」があるように、初期こそそんな駆け引きがあったものの、恋愛感情が高まるにつれて段々アホになっていきます。

 アニメのサブタイトルも第2期が「天才たちの恋愛頭脳戦?」とクエスチョンマークが付き、現在放送されている第3期に至っては「ウルトラロマンティック」となり、頭脳戦要素はどこへやら状態です。

 強固な理性がラブでぶっ壊れていく様を見て笑えるコメディ。これもまた1つのラブコメとして成り立っている気がします。

 ………………文化祭編までと限定しているのは、その後のいくつかの寄り道展開が微妙だからなんですよね。

 

 

 であれば、理性的で賢い主人公ではない方が良いのか。

 そう結論付けるにはまだ早いように思います。

 

 

 

 理性的な主人公の対極的な存在として、“冴えない”主人公の作品も最近では人気があります。

 その大体のパターンとしては、冴えない主人公を完璧美少女が都合良く好きになってくれるものです。

 主人公が冴えないメリットとしては、より読者の共感を集めやすく、その主人公がヒロインと結ばれる形で肯定されることで、読者のコンプレックスも満たされるところにあると思います。あくまで個人の(以下略)。

 

 ……ただ、以上の語り口から察してもらえると思いますが、“冴えない”主人公って嫌いなんですよね。正確に言えば、“冴えない”主人公が棚ぼた式でヒロインとくっつく話が理屈なしに嫌いです。内容を読む気にすらなれません。

 そういう作品の大概がタイトルだけで内容が完結しているので、タイトルを見ただけで「はいはい。良かったね」となってしまいます。好んで読まれている方には申し訳ないですが。

 

 

 それならば、完全無欠なラブコメとは何なのか。どうすれば完璧なラブコメになるのか。

 正直なところ、自分の中でも未だにこれだという結論が出せていません。

 これまで自分が好きだったラブコメのいずれも欠点はあって、手放しに褒めちぎれるラブコメ作品は中々思いつかない。

 本当、どうすれば良いんでしょうね?

 これからも考え続けて、問い続けて、探し続けてみたいと思います。

 

 

 ではでは、今回はこの辺で!

 劇場特典が切り替わるタイミングで、『五等分の花嫁』の映画を見に行ってきます!