モンブランは静かに暮らしたい。

静かに暮らしたいのに、好きなことの話をすると静かでなくなってしまうブログです。

晴れの日も雨の日も本を読みたい(4)

 こんにちは、モンブランです。

 

 胃腸炎になってからブログがすっかりご無沙汰でしたね。おかげさまで今では完治して、大好きなラーメンを喰らう日々を送っております。

 さて、休んでいる間は自室に半ば軟禁状態だったのですが、そんな僕を退屈から救ってくれたのはやはり本でした。

 読書がかーなーり捗りました(笑)。

 それ以外にやることがなかったからしょうがないですよね。

 それでも、休みを充実した時間にさせてくれた本に改めて感謝です。

 という訳で、僕がここ最近読んでいた本をご紹介します。

 

 

1.西尾維新戯言シリーズ講談社文庫

 

 

 アニメやメディアミックス化もされた〈物語〉シリーズなどで有名な西尾維新さんのデビュー作になります。そして、その『クビキリサイクル』から始まるのが戯言シリーズです。

 西尾さんの持ち味である「言葉遊び・個性的なキャラクター」が十二分に発揮されており、西尾さんの小説を読む入り口にも良い作品だと思います。

 あらすじについて一応解説したいのですが、正直難しいんですよね。

 “ぼく”という少年と玖渚友という少女の物語であるとしか……。

 ジャンルも最初はミステリだったのが、〈殺し名〉や〈呪い名〉などの殺人集団や四神一鏡、ER3、十三階段など異能バトルの要素も出てきて、よくわからないことになってきます。

 もう少し平たく説明しましょう。

 このシリーズでは才能ある人々が数多く出てきます。その才能に負けない強い個性を持ちながら。

 一方で、“ぼく”は作中で「欠陥製品」なんて蔑称で呼ばれるくらい才能がありません。シニカルで、孤独癖を持ちながら人恋しくて、周囲の人間の調子を狂わせる。そんな彼を疎ましく思う人々も居れば、一方で彼を慕う人々も居ます。それは何故なのか。

 “ぼく”自身がどれだけ自分を貶めても、本当は人のために動くことのできる優しい人だから。

 周囲の人々はそれを察しているから彼の側に居るし、他の誰よりも深く理解しているのは玖渚友でした。

 この世に生まれてきたのが間違いだったと自他共に思うほどの異端である彼女は“ぼく”を求め、“ぼく”もまた玖渚友の隣に立つことを望む。

 例え異端のままでも、変わらずに幸せになった二人の物語。

 なのかなーという解釈です。長くなってしまいました。

 初期作ということもあってだいぶ癖が強いのですが、久しぶりに読んでみても楽しめました。

 むしろ、最近の西尾維新作品に感じる物足りなさを掴めたような気もします。

(ここからは西尾維新作品を読んだことのない方にはよく分からないと思うので、読み飛ばし推奨です。)

 西尾維新作品の魅力として前述のような「言葉遊び・個性的なキャラクター」がよく挙げられがちですが、僕はそれに加えて「主人公が物語を思わぬ方向へ引っ張る力」があると思っています。

 戯言シリーズの“ぼく”は「重要な問題を放置する、人の忠告を聞かない」などの悪癖で、多くの裏目を被ってきました。取り返しのつかない過ちもしばしば。それでも、絶対に勝てない相手に闘いを挑んだり、闘わずして“戯言”を用いて相手を説き伏せてしまったりなどして物語のオチをつけてきました。

 別作品ですが、〈物語〉シリーズ阿良々木暦も同様です。瀕死の吸血鬼に自身の血を吸わせることで助けて、眷属になったものの人を殺した彼女を許せず、かと言って殺せもせず吸血鬼もどきになって完全な人間に戻ることを諦める。この結論もみんなが不幸になる代わりに誰も死なないという、いわゆる王道から外れた解決だと思います。

「そういう方向へ行くの⁉︎」と困惑したのは一度や二度ではありません。

 それでも尚惹きつけられるのは、脈絡なく都合の良い展開が訪れなくても、必死に考え抜いて解決に導こうとする意思に魅力を感じて共感できるからです。

 しかし、いつからでしょうか。最近の西尾維新作品からはこういった魅力が薄れているように思うのです。

 確かに、言葉遊びを交えながらの文章を洗練されていて読みやすく、魅力的なキャラクターや会話は健在です。ただ、物語の方は異様な問題や展開に主人公たちが振り回される、いわば“受動的”な傾向にあります。

 これまでの西尾維新作品が好きだった僕にはそれが物足りなさを感じさせてしまうのです。

 だから、これは愚痴ではなく懇願です。

 またあの頃のような面白い西尾維新作品が読めるようになりますように、という一人の読者の願いです。

 

2.宮部みゆき『悲嘆の門』(上)(中)(下)新潮文庫

 

悲嘆の門(上) (新潮文庫)

悲嘆の門(上) (新潮文庫)

 
悲嘆の門(中) (新潮文庫)

悲嘆の門(中) (新潮文庫)

 
悲嘆の門(下) (新潮文庫)

悲嘆の門(下) (新潮文庫)

 

 

 この本を手に取ったきっかけについて。

 高校生の頃に同作者の『英雄の書』の文庫版を買って読みました。

 当時「今度この本の続編が出るらしい」という情報があったのですが、つい最近『英雄の書』を再読するまでその記憶がポロンと抜け落ちてしまっていたのです。

 ネットで調べたら続編は『悲嘆の門』というタイトルで、とっくに文庫化までしていました。急いで買わねば!

 といった経緯で僕はこの『悲嘆の門』を手に取ったのでした。

 そのあらすじは以下のようになります。

 サイバーパトロールのアルバイトを始めた大学一年生の三島孝太郎。ある日、全国で起きる不可解な殺人事件の監視チームに入るよう命じられるが、そんな折、同僚の森永が失踪してしまう。失踪した森永を探す光太郎は、廃墟ビルで元捜査一課の刑事・都築と出会う。そのビルの屋上のガーゴイル像が動いていた目撃談もある中で、二人を待ち受けていたのは本物の“怪物”だった……。

 上巻で殺人事件を追っているところまではミステリのような内容ですが、上巻の最後に“怪物”と遭遇して以降はファンタジーへと変貌を遂げます。

 しかし、一貫して〈言葉〉と〈物語〉の根源を追う物語でもあります。

 サイバーパトロールのバイト中に触れたインターネットの悪意の〈言葉〉、そして“怪物”と契約してから左目で読み取れるようになった、人間の内側に秘められた〈言葉〉で綴られた〈物語〉。

 “怪物”の力で正義と復讐を求める孝太郎は、やがて開いてはいけない〈悲嘆の門〉を開いてしまう。その先に待ち受けるものとは……?

 前作『英雄の書』と世界観を共通にしていて、前作主人公の森崎友梨子(ユーリ)や“狼”のアッシュなども再登場します。

『悲嘆の門』単体でも楽しめますが、前作も読んでいると更に深く作品の世界観を味わえるでしょう。

 重厚な大作長編でありながら、宮部さんの文体はとても読みやすいのでオススメです。

 

3.森見登美彦『聖なる怠け者の冒険』朝日文庫

 

聖なる怠け者の冒険 (朝日文庫)

聖なる怠け者の冒険 (朝日文庫)

 

 

 重い内容ばかり触れてきたので、こちらは軽めに。

『聖なる怠け者の冒険』の主人公、社会人二年目の小和田君はとにかく怠け者。彼の前に狸の面をつけた「ぽんぽこ仮面」なる人物が現れようが、恩田先輩たちに冒険に誘われようが、週末探偵に追い回されようが怠けてばかり。宵山で賑やかな京都を舞台にした冒険譚、なのですが、誰が中心に冒険するかは……まあお察しください。

 この作品においても森見さんの名調子は炸裂していて、テングブラン(偽電気ブラン)や四畳半という単語を文中で見つけただけで安心感すら覚えてしまいます。

 みんなが冒険する中で昼寝を貪る小和田君ですが、どうにも憎めないヤツなんですよね。むしろ僕も彼の妄想のように、南の島の水上コテージで時々読書を楽しみながらマンゴーのフラペチーノを味わいたいくらいです。その場合、本棚のラインナップは『海底二万海里』と『シャーロックホームズの冒険』だけでは足りない気もしますが。

 奇妙な冒険譚ですが読んでいて楽しくなること間違いなし。こちらもぜひぜひ読んでみてください。

 

 

 さてさて、そんな訳でいかがだったでしょうか。

 戯言シリーズの話、というか西尾維新読者としての愚痴が長くなってしまったのは申し訳ない限りですが、シリーズ9冊分話したかったのでそこはご愛敬ということで。

 他2作品も前々から読みたかったものを読むことができたので、家に引きこもっていた機会に読めてある意味ラッキーでした。

 ただ、読書ライフを送るにもやはり健康体が一番ですね。

 新型コロナで色々と大変な時期ではありますが、皆さんも心身ともに体調にお気をつけて。

 では、今回はこの辺で!